【Oktane26】Day3 基調講演:How Did I Get Here?: The Ascent of an Unlikely CEO
皆様こんにちはこんばんは、Oktaneをこよなく愛するネクストモードのおはらふです
Oktane26もいよいよ最終日となる3日目に突入しました
終わりが見えてくると少し寂しくなりますね
今回は、そんな3日目の朝に開催されたクロージングキーノートの様子をお届けします
ゲストは伝説のスケートボーダーであり、起業家でもあるTony Hawkさんです!
キーワード
Oktane26、基調講演、Tony Hawk、Tony Hawk's Pro Skater
Erinさんからのオープニング
最終日のキーノートは、OktaのVP, Chief of Staff to the COOであるErin Baudo Felterさんの挨拶からスタートしました

今回のOktaneは初参加の方がとても多いそうで、「初参加の皆さん、楽しんでいますか?」と会場に呼びかける場面もありました
そんなErinさん自身は、なんと今回が10回目のOktaneとのことです
10年も続けていると白髪も増え、子どもたちも大きくなったと笑いながら、Oktaとこのコミュニティで過ごした10年間に対して大きな感謝を感じていると語っていました
Tony Hawkとの対談
ゲストは世界で最も有名なスケートボーダーであり、起業家、そしてThe Skatepark Projectの創設者でもあるTony Hawkさんです

どうやらアメリカではゲームの『Tony Hawk's Pro Skaterシリーズ』をプレイした人は多いらしく、この話題が後ほども出てきます
スケートボードとの出会い
話は1977年、Tonyさんが初めてスケートボードに出会った頃までさかのぼります
サンディエゴで育ったTonyさんには12歳年上のサーファーの兄がいて、当時のスケートボードは「サイドウォーク・サーフィン」と呼ばれる、サーフィンから見ると遊びのような存在だったそうです
ある日ボードを借りて乗ってみたところ、思った以上にスピードが出てしまい「どうやって曲がるの?どうやって止まるの?」と叫んだままフェンスに激突。指にトゲが刺さるという散々なデビューだったとのことです
それでもボードを拾い上げ、帰り道で曲がり方を覚えたところから、Tonyさんのスケート人生が始まりました
ちなみに、このとき乗った最初のスケートボードは現在スミソニアン博物館に収蔵されているそうです
ただ実は兄のボードだったため、寄贈するには兄の許可が必要だった、というオチ付きでした(会場爆笑。僕聞き取れずぽかん)

ケガとリスクへの向き合い方
スケートを始めてすぐに、Tonyさんは初めての脳震盪を経験します
当時のヘルメットは「見せかけだけ」の粗悪なもので、転倒した際にはむしろヘルメットのせいで眉を切って縫うことになり、さらに歯も失ったそうです
最初の1年半で何度もケガを繰り返した結果、病院の医師がTonyさんだけを別室に呼び「家で何か問題が起きていないか」と虐待を疑われたこともあったとか
それでもTonyさんがスケートをやめなかったのは、死にたがりだったわけではなく、リスクを理解した上での「計算されたリスク」であれば、新しいことに挑戦するためのケガは気にならなかったからだと語っていました
この考え方こそが、同世代の仲間と自分を分けたものかもしれない、とのことです
14歳でプロに、そしてBones Brigade加入
Tonyさんは14歳でプロスケーターになりますが、その経緯がとても面白かったです
1982年当時、スケートボードは一過性のブーム、ヨーヨーと同じようなものと見られていました
アマチュアのトップになったTonyさんは、ある大会のエントリーシートに名前や住所を記入していく中で「アマチュア」と「プロ」の欄を見つけ、プロにチェックを入れた。その瞬間からプロスケーターになったそうです
誰かに認定されるプロセスがあるのかと思いきや、自分でチェックを入れるだけというのは驚きでした
ちなみにその大会には業界関係者が全員集まっていたものの、選手を含めて200人ほど。優勝賞金は100ドルで、Tonyさんは4位だったとのことです
また、12歳のときには当時最も精鋭と言われたチーム「Bones Brigade」に加入しています
宝くじに当たったような気分で「自分はここにふさわしくない」と感じていたものの、そのポジションに見合う自分になろうとしたことで、スケートの腕前は格段に上がったと振り返っていました
一方で、学校では目立たない存在で、スケートをしているというだけで差別的な言葉でからかわれていたそうです
週末は大会でサインや写真撮影に応じ、平日は学校でからかわれるという、なんとも不思議な二重生活だったと語っていました
『Tony Hawk's Pro Skater』誕生秘話
ここで話題はゲームの話へ
Erinさんが会場に「遊んだことがある人?」と問いかけると、たくさんの手が挙がっていました。アメリカでは非常にメジャーなゲームらしいです
日本でも各種ハードのDL版やSteamで買えるみたいですが、プレイしたことある方いますか?

Tonyさんは以前からスケートゲームを作りたいと考えており、PC向けのスケートゲームの企画に関わったこともあったそうです
それがきっかけでゲーム業界に名前が知られるようになり、Activisionから声がかかりました
サンタモニカのオフィスに行くと、スーツ姿の人たちが会議室で待ち構えている中、スケーターの格好のまま席についたTonyさん
そこで見せられたのは、Bruce Willisを起用したゲーム『Apocalypse』のエンジンを流用したプロトタイプでした
画面の中では、背中に銃を背負ったBruce Willisがスケートボードに乗って荒野をキックフリップで駆け抜けていたそうです笑
それでも触った瞬間に「直感的で、楽しくて、自由度が高い。やろう」と即決したとのことです
当時はゲームならではの非現実な技として、キックフリップから複雑なトリックへとつなげるコンボを入れていたそうですが、それから25年近く経った今、そのトリックは現実のものになっているとのこと
今の子どもたちの滑りを見ていると「まさにトニーホークPlay Stationのコンボだ」と感じることがあると語っていました
伝説の「900」
続いては、1999年6月にサンフランシスコで開催されたX Gamesで、Tonyさんが史上初めて成功させたトリック「900」の話です
900はハーフパイプで空中2回転半するトリックで、それまでの最高は720でした(ちなみに720は、1985年にTonyさん自身がスウェーデンで、観客2人の前で成功させたそうです)
900への挑戦は1986〜87年頃から始まり、フランスで背中から落ちて「これは無理だ」と感じたこともあったそうです
2回転半の間に着地点が2回も見えなくなるため、感覚で自分の位置を把握する必要がある難しさがあり、1996年には挑戦中に肋骨を骨折。そのまま子どもを幼稚園に迎えに行ったというエピソードも語られていました
そして1999年のX Games。ベストトリック部門で、Tonyさんは得意技を開始10分ほどで成功させ、それ以上挑戦の予定はなかったそうです
ところが練習で900に挑戦しているのを見ていた実況者が、マイクで「900を見せてくれ!」と呼びかけたことで、観客に応えるように挑戦することになりました
これまで裏庭や倉庫の不安定なランプで滑ってきたTonyさんにとって、ESPNが作った完璧なランプと過去最大の観客は大きな転機でした
「成功させるか、担架で運ばれるか、今夜の終わり方は2つに1つだ」と覚悟を決めたそうです
肋骨を折ったときと同じように前に倒れた後、空中で重心を少し後ろにずらせばいいとひらめき、次の挑戦では後ろにずらしすぎて転倒。それでも「これならいける」と確信し、ついに着地に成功しました
ランプを滑り上がったときに、チームメイトやライバルたちが駆け寄ってくるのが見えて「本当にできたんだ」と実感したとのことです
しかも放送は時間を延長して、その挑戦をすべて生中継していたそうです
Tonyさんは、スケートボードのトリックを習得するのにどれだけの献身と粘り強さが必要なのかを、多くの人に見てもらえたことが誇りだと語っていました

起業家としてのTony Hawk
ここからはセッションタイトルにもある、起業家としての話です
Tonyさんは1992年、24歳でスケートボードカンパニー「Birdhouse」を立ち上げました
当時24歳はスケーターとしてはかなりの高齢で、今度は自分がチームを作り、自分の次のキャリアを考えなければと思っていたそうです
しかし1992〜96年は利益が出ず、社員の給料を下げ続け、ツアーでは6人で1台のバンに乗り、ホテルは1部屋シェアし、タコベルやサブウェイ、ガソリンスタンドで食事をする日々だったとのこと
転機となったのはX Gamesの登場、そしてゲームの発売でした
ゲームが出てから「Tony Hawkの新作買った?」と言われるようになり、自分の名前がブランドになったことに戸惑ったそうです
それでも、大企業とのコラボレーションを通じて、スケートボードを「最もリアルで最良の形」で届けることを大切にしてきたと語っていました
一番の驚きは何かという質問には、「スケートボードについて話すことで生計を立てられるようになったこと」と笑いながら答えていて、今はサイドクエストをこなしているような感覚だと話していました
リスクへの向き合い方の変化
今年のOktaneでは「イノベーションと安全性」がひとつのテーマになっていますが、Tonyさんのリスクへの向き合い方の考えはどう変わってきたのでしょうか
40代後半までは20代と同じように滑っていたTonyさんですが、54歳のときに1万回はやってきたトリックで大腿骨を骨折してしまいます
復帰は難しく、焦って早く戻ろうとして何度か後退もしたそうです
その経験を経て、今はスケートができること自体に感謝していると語っていました
かつては900のように「成功したら次へ」という考え方だったものが、今ではひとつひとつのオーリーやグラインド(スケーターにとってごく当たり前の基本技)が贈り物のように感じられ、以前よりもやりがいを感じているとのことです
変化の中にいる私たちへのアドバイス
最後の質問は、AIをはじめとする新しいテクノロジーや働き方の変化の中で、未知のものにどう向き合えばいいか、というものでした
Tonyさんは、自分が語れるのは新しい技を覚えるときの話だけだと前置きしつつ、次のように答えていました
まず、パズルのうち自分がすでに知っているピースは何かを考える
最初の挑戦は成功しないと分かった上で取り組み、少しずつアプローチを調整しながら、最終的に答えを見つけていく
技の最後の部分は分かっていても、最初の部分がまったく新しいことも多い。でもそこまでたどり着ければ、本能的に成功できると分かる
そして「失敗こそ最高の学びの道具。もしすべてを一発で成功させてしまったら、そこには喜びも学びもない」と語り、スケートボードで学んだこの考え方を、子育てや人間関係など人生のあらゆる場面に活かしてきたと締めくくっていました

セッションの最後には、来年のOktaneも同じラスベガスで9月28日〜30日に開催されることが発表されました
今から楽しみです!

おわりに
何かで成功した方の話を聞くのは色々な示唆がありとても楽しいです
自分もいつまでも「挑戦して失敗する」マインドを維持しないとなと改めて考えさせられました
クロージングキーノートが終わると、Oktane26も残りわずかで寂しい感じも出てきますが、他のセッションの様子もお届けしていきますので、そちらも楽しみにしていてください!