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黒モン族の儀式に見るカルチャーと放蕩の経済|Nextmode Blog

日本酒をこよなく愛する里見です。ネクストモードの仕事は、パソコンの中だけで完結しません。ワーケーション先で人と暮らしに触れ、そこで生まれる問いをビジネスの設計図に落とし込む——そんなサイクルで毎日を回しています。効率や自動化の話をする会社だからこそ、「なぜ働くのか」「何を豊かと呼ぶのか」を、旅の途中で何度でも棚卸ししたいと思います。
今回の旅先は、ベトナム北部の山間に暮らす黒モン族の村。彼らの儀式は、会計の目で見れば“無駄”に見える支出の集積です。しかし、その“無駄”が共同体の時間を巻き直し、人と人を再接続する。SaaSもクラウドも好きだけど、結局のところ価値は人からしか立ち上がらない——そんな当たり前のことを、祝祭の渦の中で思い出しました。
ここから先は、旅の記録と、会計学・経営の言葉で解像度を上げたノートです。ネクストモードのビジョン「クラウドであたらしい働き方を」に、山の匂いを少しだけ混ぜてお届けします。
 
サパの段々畑の美しさは格別です。犬、猫、バッファロー、鶏、アヒルなど、様々な動物と共生しています。
 
 滞在している黒モン族の家の横にあるジンジャーの花。この下に大きなジンジャーがあり、毎朝フレッシュなジンジャー・ハニーで目覚めます。
 

バタイユの思想からネクストモードの価値観へ

山の朝は、霧が静かに棚引く。湿った空気を胸いっぱいに吸い込みながら峠を越えると、黒モン族の村が姿を現します。段々畑の緑と、牛や鶏が行き交う土の道。そこにあるのは、田畑と家畜が織りなす穏やかな日常です。 しかし、祭りや儀式が始まる合図が鳴った瞬間、その静けさは一気に「爆発」へと切り替わります。米、豚、鶏、そしてときにバッファローまでが供され、村のすべてが祝祭の渦へ吸い込まれていきます。
 
銅鑼を叩くことで儀式がはじまります。左下にある横笛は「ケン」と呼ばれる竹で作られた楽器で、まるでダンスをするかのようにクルクルと回りながら演奏します。
 
ヘンプで作られた黒モン族の衣装で集まり、子豚を生贄に捧げます。
 
フランスの思想家ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』でこう書いています。 「人類史の運動の本質は、富の蓄積ではなく、その消費にある。」 人はため込むだけではなく、あえて「無駄に使う」ことで共同体の絆を確かめてきた――黒モン族の祭りは、そのテーゼを骨太に体現しています。
 

死後の儀式 ― 経済価値をあえて燃やす(2025年9月25日)丁酉

最も圧倒されたのは、死後2年後に行われる儀式。今回は200人を超える親戚縁者が集いました。多い時には1,000人以上集まるようです。全員が黒モン族の正装で臨み、亡くなった人を弔うために、24時間かけて飲み会をするのです。死者が家族に会いに戻るその夜、豚:45匹、バッファロー:2頭、米:1トン、自家製米焼酎:400リットルが供されます。台所は血の匂いと蒸した米の湯気で満ち、まさに「資産を燃やす劇場」と化します。
 
屠殺後、男たちが大量の豚肉を処理しています。内臓も含め、余すところなく食用にします。
 
屠殺の際に大量にでた血は、集められてゼラチン状の料理に。ナッツや香草が入っていて、食べる時にライムをたっぷりかけます。なんど食べても慣れない味です。
 
雰囲気は意外なほど大らか。歌う人、楽器を奏でる人、飲み倒れる人、黙々と食べる人、ひたすら喋る人――役割は固定されず、場が人を包み込みます。豚・米・自家製の酒は参加者が持ち寄るため、量は雪崩のように膨らむ。20kgの大釜で炊く米の香りは、人を無条件に幸せにします。田畑を耕す貴重なバッファローを2頭屠る決断は、共同体の覚悟そのものと言えます
 
写真に写っているのは黒モン族が持ち寄った自家製の米焼酎の一部。各家庭に保存されているものをペットボトルに入れ替えて持ち寄ります。この数倍の量が集まり、次々と飲み干されていきます。
 
食事の場はふたつ。黒モン族の中でもキリスト教徒は別の場所で食事をし、祈りを掲げられていない食べ物を口にします。このエリアには約800人の黒モン族が住んでいますが、10%程度がキリスト教系のようです。料理そのものは同じでも、祈りの有無が文化的な境界線を描く。ただひとり黒モン族でない参加者の私は、祈りが掲げられている方の食卓に座りましたが、誰もが「まれびと」を珍しそうに迎えてくれました。
 
貴重な豚肉と共に、大量のお酒が振る舞われます。まだ午前中で、はじまったばかり。宴会は次の日の朝まで続きます。
 

死後の儀式の会計学 ― 宴会の原価概算

■死後の儀式の費用:参加者200人超え
◇ホスト・ファミリーが負担
 バッファロー:115,000円(20000kドン) × 2頭 = 約230,000円
◇ゲストが持参
 子豚:5,700円(1,000kドン) × 45頭(仮)= 約256,500円
 米:57円(10kドン) × 1,000㎏ = 約57,000円
 自家製焼酎:170円(30kドン) × 400リットル = 約68,000円
合計:約60万円
   
※上記費用は、黒モン族が日常調達している価格をヒヤリングして記載したためベトナムの平均価格より低廉です。遠方から参加したゲストの中には、少額のお金を持ってくる人も居るようです。
 
人件費や場所代を含めれば更に膨らみます。ベトナム全体の平均年収が約50万円、黒モン族は自給自足で現金収入が殆どないことを考えれば、この支出がどれほど大きいことか。私が泊めさせてもらっている黒モン族の家では、電気が通ったのが10年前、WiFiが来たのが今月で、近年まで実に貧しい村でした。貧しさゆえに児童労働があり、40歳代の人は小学校に行ったことがある人は1割程度です。学校に行けた1割の人も、竹で作られた小さな学校には紙もペンもなく、読み書きを習うことが困難でした。
OPEX(運営コスト)の大規模支出。使用価値と交換価値の二側面で財の価値を捉えると、眩暈がするような莫大な消費が1日でなされたことになります。そしてその見返りは帳簿に載りません。死者と生者をつなぎ直す絆、共同体の結束――これは無形資産であり、長期的にはコミュニティの持続可能性として確かに回収されることになります。
これらの現金価値が、儀式では無形の価値に燃やし替えられる。短期のROIはマイナスでも、長期のソーシャル・キャピタル(社会関係資本)は逓増する。まさに、経済合理性を超えて無形資産が積み上がる構造です。
 
家の真ん中に南に向かって祭壇があります。人が亡くなると、祭壇の前に3日間安置します。祈りを掲げるのも、ご飯を食べるのも、家族が集うのは全てこの場所です。
 
ちなみに、シャーマンの価格は300kドンから600kドン(約2,000~4,000円)で意外と安い。シャーマンはお金に頼っておらず、願うのは村の安泰。お金には固執しないとのこと。この辺りの数km範囲の村で3人のシャーマンがいて、タイミング毎に誰に頼めるかはわからない。儀式は中国の暦で開催日を検討し、「良い日取り」は巳年巳日のような日のことで、運気が高いとされます。
 
この儀式では、銅鑼ではなく太鼓が使われていました。日本の太鼓とほぼ同じで、時折太鼓のフチ(縁)を打ってリズムを付けてました。
 

収穫祭 ― 無駄の中にある意味(2025年9月26日)戊戌

19:00頃から始まった収穫祭。入り組んだ場所にありますが、黒モン族の家としてはかなり大きく、料理する竈も複数あります。卓上にまず並ぶのは香り高い新米。続いて鶏、豚、魚、スープ、そして大量の煎りたてピーナッツ。驚かされたのは竹に寄生するバンブーワーム(タケムシ)。竹の成長を止める害虫だが、フライにすると竹の清々しい香りとナッツのようなコクが広がり、見た目に反してとても美味しい。ここでは「珍味」が珍しいだけでなく、土地の生態系と人の知恵が編んだ“相利”の味として皿に現れる。
 
大きな竹の中に、かなりの数が生息しているようです。黒モン族の好物で、食べてみるととても美味しい。昆虫食の中で、最も美味しいと思いました。
 
お酒のルールも独特。まず自分が杯を飲み干し、その後に相手へ注ぐ。それが延々と続き、リレーのように宴を循環させます。ただし強制はしない。お酒の代わりにジュースで行う人もいる。ここには、相手の身体や事情を尊重する「柔らかい共同体性」が息づいているようです。
経済学の目で見れば、食材は「資産」=リソース。しかし祭りの場で資源は、未来の投資対象から「今この瞬間の共有」へと変化します。ビジネスで喩えるなら、短期のROI(投資収益率)を追うのではなく、体験価値(エクスペリエンス・エコノミー)を最大化する営み。数字は静かに、身体は賑やかに、価値が循環する。
 
各自の席に、お椀とお猪口が並びます。最奥の祭壇に近い場所に年長者が座ります。レタスに豚肉を包んで食べます。料理はいずれも美味しかったです。
 
生贄にした鶏は、その後茹でて食べます。参加したシャーマンは、茹でた鶏の両足を膝の上でじっと眺め、指の開き方・曲がり・ひび割れ・艶を見て運勢を読みます。指の開き具合で「気をつけよ」「今日は家に留まれ」、所見がよければ「出歩いてよい」、「畑へ出てもよい」となります。短い宣言で家族の時間割が微妙に組み替わります。この占いは“迷信”で片づかない重みがある。魂の安寧を点検し、家の内と外の境い目を調律する共同体のプロトコルでもあるからです。
 
チキンの脚から未来を読むシャーマンと、のぞき込む家族。そのあいだ、参加者は宴会で思い思いに語らい、共同体の絆を深めます。
 

シャーマンの儀式 ― 犠牲のポートフォリオ(2025年9月28日)庚子

午前中、6時間ほど続くシャーマンの儀式に立ち会いました。年に1回だけ、それぞれの家で行われます。家に憑いた悪霊を退治するためです。近隣の人々が集まり、家の中央に普段から備えられている祭壇を中心に供物が並びます。豚・鶏・米・塩・線香・お札に見立てた紙・人形の紙の切り抜き・家族の人数分の紙垂(しで)。供物の種類が増すごとに、空間は儀礼の濃度を鮮やかに増していきます。
 
籠の中に、ネズミ、鳩、魚、鰻、等の供物が並べられていきます。人型の紙はこの家に住んでいた悪霊を表しています。籠は美しいテーブルを意味していて、テーブルの上に人間の代わりに生贄となった動物たち、紙幣を表現する紙の束、悪霊の住まいを表現する傘があります。これらを川に持って行って焼き払うことで、悪霊は家から去っていきます。
 
生贄となるチキン・ダックは、黒モン族の刺繍が施された紐で結ばれています。
 
今回は8つの動物が犠牲として捧げられました。チキン、犬、、ネズミ、鳩、魚、鰻、そしてダック12支の動物をこれでもかと言わんばかりに取り揃え、酉(とり⇒チキン)、戌(いぬ)、亥(いのしし⇒豚)、子(ねずみ)、卯(うさぎ⇒白鳩)、辰(たつ⇒魚)、巳(へび⇒鰻)の7種の干支の供物が賑やかに並びます。ダックが干支にありませんが、とにかく動物は多いほうがいいようです。食べるのは戌とだけ。他は純粋な貢物。盛大に振る舞って霊を満腹にさせる戦略。1点投資で一か八かを狙うのではなく、全部の対象にベッドするカバーベッド。富を増やす目的であればカバーベットは明らかに間違っていますが、ここには異なる経済学が働いています。
 
デコレーションされた豚と鶏が供物として並びます。
 
儀式は真鍮の銅鑼の一撃で始まります。シャーマンは黒モン族の衣装をまとい、歌うような呪文を紡ぎます。銅鑼を打ち鳴らし、跳ね、踊り、時に奇声を上げて霊と対話する。終盤、鈴のような道具を鳴らし、全身を震わせると、空気そのものが粟立つのがわかります。祈りの最中にはバッファローの角を何度も投げ、表が出れば吉、裏なら凶という合図を確かめる。さらに日本の節分を思わせる所作として、トウモロコシ(家畜用)を家の中や玄関に投げ付け、悪霊を追い払う。音と所作で空間の秩序が再配置されていきます。
 
三世代の家族が祭壇の前に集い、シャーマンの祈りを受けます。
 
特に子豚の犠牲は、儀式全体のクライマックスです。死を察した子豚は声を張り上げ、甲高い鳴き声は屋敷の梁にまで反響し、誰もが息を呑みます。その叫びは、まるで自らの生命が世界に刻む最後の署名のようです。やがてシャーマンが祭壇に向かい、長い祈りを捧げます。沈黙の中、刃が喉元に触れる瞬間、空気は凍りついた。小さな体は激しく痙攣し、震えは次第に波紋のように弱まり、やがて静寂へと吸い込まれていきます。
子豚の瞳がゆっくりと閉じられる。そこには苦悶ではなく、どこか安らぎにも似た表情があります。肉体を離れる一瞬、命の炎は淡い光となって宙に揺らめき、見えざる世界へ解き放たれていくかのようでした。流れ出た血は容器に丁寧に受け止められ、スパイスと混ぜ合わされ、やがて食べ物へ変わる。赤い液体はただ失われるのではなく、共同体の中で循環し、再び命を支える糧となる。その場にいた誰もが、生命がただ終わるのではなく「神聖な領域」へ移行する瞬間を目撃していました。
 
豚や鶏の前には、お米と塩、そしてシャーマンが祈りに使ったトウモロコシが散乱しています。シャーマンがお祓いに使ったトウモロコシは、ただ床に撒かれた穀物ではありません。それは一本一本が線となり、やがて見えない網の目を編み上げ、家の内側を守る「結界」へと姿を変えます。粒が床に跳ね、柱の根元に転がるたびに、境界は少しずつ強化され、家の隅々にまで霊的な防壁が張り巡らされていくのです。
 
バタイユの言葉が重なります。「犠牲とは、対象を有用性の領域から取り去り、神聖なものの領域へと返すこと」。この一文は、人間社会に普遍的に存在してきた「犠牲」という行為の本質を、深く射抜いています。日常において子豚は、食料としての有用性に基づいて理解されます。市場に並べば価格がつき、調理されれば栄養源として人々の身体を支える資源となります。しかし、犠牲という場面においては、その文脈が根底から反転します。子豚は単なる資源ではなく、共同体と霊的存在とを結びつける仲介者、すなわち「聖なるもの」へと昇華されるのです。
文化人類学の視点から見れば、この変容は単なる象徴的行為ではなく、社会を存続させる根源的な営みとして理解できます。贈与は物の交換を超えて社会関係そのものを構築します。犠牲もまた、消費という経済的行為を超えて、共同体と超越的な存在との「交歓」を実現する行為であります。血や肉が捧げられることによって、人々は自らの生命と霊的秩序をつなぎ直し、共同体の絆を更新するのです。
ここで重要なのは、犠牲が「無駄な浪費」ではなく「聖なる返還」である点です。バタイユが示すように、有用性に縛られた領域から対象を取り去ることで、人間は一時的に生産と消費の循環から解放され、より高次の次元と接触するのです。子豚は共同体の祈りや願いを託された媒介者として、その生命を捧げることで存在の意味を変質させたのです。
このように見れば、子豚の犠牲は単なる殺生の行為ではなく、共同体が「人間とは何か」という根源的な問いに立ち返る契機です。犠牲を通じて人々は、自らが自然の循環の中に生きる存在であることを認めると同時に、霊的秩序との関わりを再確認します。子豚は消費の対象であることを超えて、共同体全体の精神的支柱として、厳かに犠牲の形を全うしたのです。
 
最後は集まったメンバーで宴会です。供物は「聖なる返還」として参加者の体内に取り込まれていきます。ホストはお客にもっと食べろ、もっと飲めと言って、霊的秩序との関わりを促します
 

会計学としての考察

 1. コストの性格
ここで提示された60万円は、企業会計でいうところの「費用」。しかし、単なる消費財購入ではなく「投資的支出」に近いものです。即時に失われる現金価値が、将来的に「共同体の維持」「死者との関係」「村の安定」というキャッシュフローに換算できない便益に転化するからです。広告宣伝費やR&Dに似ています。
2. 減価償却 vs 即時費用
子豚や米はその場で消費されるため即時費用化。一方で形成される絆や信頼は長期にわたる効果を持つ資産ですが、貸借対照表には載りません。企業会計で言えば「のれん」や「ブランド価値」に相当します。無形資産は創出されますが、会計上は即時費用というギャップがあります。
3. ROI(投資対効果)の再定義
数値で測れば短期ROIは赤字。しかし儀礼による安定性は、外部不経済の回避(内紛や暴力コストの減少)として長期の経済効果を持ちます。コスト削減効果として評価すれば、実は正のROIになり得るのです。
4. シャーマンのフィーの会計的意味
300k~600kドン(約2,000~4,000円)は全体コストの1%未満。貨幣ではなく信頼を通貨として受け取っていると解釈でき、「複式簿記では記録できないもう一つの勘定体系」が機能していると言えます。
5. 国際会計基準(IFRS)で見た場合
IFRSでは将来キャッシュフローを生む確度が高ければ無形資産を計上可能。しかし儀式が生むのはキャッシュフローではなく社会的安定です。基準を満たさず、見えない資産として扱われます。まさに「存在するのに記録されない資産」の典型となります。
 
まとめると、黒モン族の儀式は貨幣換算できる支出を「即時費用」として処理しながら、実際には社会的無形資産の積立投資になっています。企業がカルチャーを大切にして社員にコストを投じるのと同じロジックです。短期決算主義ではマイナスに見えても、見えないバランスシートは健全化しているのです。
 
儀式が終わった後、家の前にはバナナの葉で作られたポールが立てられます。このポールが悪霊の再来を防ぎます。清められた「家」に3日間、他の家の人は入ってはならないことを意味します。住人も3日間は他の「家」に入ってはなりません。経済活動は停滞しますが、経済よりも優先すべき大切なものがこの村にはあります。
 

放蕩のカルチャーは、働き方のカルチャーへ

黒モン族の祝祭に触れて実感したのは、「一見すると無駄に見える営み」が、共同体を長期的に持続させるということです。バタイユの命題を借りれば、人類史の本質は蓄積ではなく消費にあります。バッファローや豚を惜しげもなく屠り、数百人で時間を共にする。短期的に見れば赤字にしか見えないその行為が、実は未来への投資であり、絆という無形資産を生み出していました。
これは、企業におけるカルチャーのあり方とも重なる部分があります。ネクストモードでは創業以来、「クラウドであたらしい働き方を」というビジョンのもと、カルチャードリブンで会社を育ててきました。私たちが重視してきたのは、売上や利益だけではなく、カルチャーという見えない資産をどう積み上げていくか。
一例を挙げれば、求める人物像の中で「全力で楽しもう 情熱とひらめきで世界をもっと面白く」を定義しています。楽しむことを正義として数字や効率だけを追わない。仕事そのものを楽しみ、人と人との関係性から新しい価値を立ち上げることを大切にしています。
  • リモートで働くメリットを最大限享受するためにも、楽しく働いていいんだという、働くことへの向き合い方を変えていく必要があります。前向きに、自主的に業務に取り組むことで、これまで以上にパフォーマンスが発揮できると信じています。
  • ネクストモードが楽しく働く仕組みを、大企業から中小企業まで、もっと多くの会社に広めて、会社の成長を共に喜びましょう。「あたらしい働き方」への挑戦は、まだはじまったばかりです。水面に落とした一滴のしずくを、波紋のようにお客様に広げていきましょう。
  • 楽しく働くために、能力を磨く努力をしましょう。得意な分野を作れば、その仕事は楽しくなります。
これらはすぐに利益に換算できるものではありません。しかし、黒モン族の儀式が共同体の未来をつなぎ直すように、カルチャーへの投資は組織の長期的な持続可能性を確かなものにします。短期決算で見れば「コスト」かもしれない。しかしその無形資産は、社員のエンゲージメント、顧客からの信頼、そして新しい挑戦を可能にする土壌として回収されていきます。
 
ネクストモードでは、2時間20万円の巨大な会議室を借りて、勤務時間中に紙飛行機大会を実施しました。この時間は経済的行為を超えて、働く仲間との「交歓」を目指しています。これからも、男女差や体力差がでないダイバースな「消費」でカルチャーを育てていきたいと考えています。
 
だからこそ、ネクストモードは「カルチャー」を企業の中心に据えてきました。クラウドやSaaSは道具にすぎません。大切なのは、その先に「どう働くか」「どう楽しむか」「どう世界を面白くするか」という問いに向き合い続けることです。
黒モン族が資源を惜しみなく放蕩することで未来の絆を育むように、私たちも日々の仕事に「楽しさ」と「ひらめき」を惜しみなく注ぎ込みながら、世界をもう一段豊かにしていきたいと思います。
霧はいつか晴れ、道はまた現れる。
次の祝祭へ、次の挑戦へ――。
 
儀式に参加中、あなたを守ってくれると、赤い糸のブレスレットをしてくれました。日本までこれを付けて帰ろうと思います。