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グローバルSaaS企業で成功するには?カントリーマネージャーになるためのリアルな道のり

日本酒をこよなく愛する里見です。2020年に会社を作ってからというもの、年間100日以上ワーケーションをしています。今回はNetskopeの初代カントリーマネージャーであるJinichiro Daikoku(以下=Jin)に会いに、アメリカのポートランド郊外に来ました。空港のbaggage claimが制限エリアを出てから遠いので不安になりましたが、無事にJinと会うことができました。

SaaSのカントリーマネージャーをやってみたいという人は多いですが、実際はタフな仕事であると言われます。特に立ち上げ期のプレッシャーをどうやって乗り越えたのか、成功のマインドを理解したいと思いました。JinはNetskope Japanの立ち上げから7年間、日本のカントリーマネージャーを務めました。そして今年の1月に退任。ロールチェンジしたばかりのJinにインタビューをする、ちょうどいいタイミングだと思いました。Jinのオープンな人柄もあり、当時を振り返って正直にインタビューに答えてくれました。家族への愛を含めて、あらためて人柄の素晴らしさに触れた、学びの多い時間でした。

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2025年3月:ポートランド郊外のJinの自宅にて

1. ワシントン州での暮らし


■里見:最初に、今のワシントン州での暮らしについて、紹介してください。

■Jin:いま、ポートランド(オレゴン州)からすこし北のワシントン州に住んでいます。でも、説明が面倒なので、ポートランド郊外に住んでいると言っています(以下、住んでいる場所をポートランド郊外として記述)。ポートランド郊外はカリフォルニアより物価が安いんです。サンフランシスコだと一軒家は1.5億円からです。どんなにちっちゃくて古い家でも。

ポートランド郊外では、新築を1/3ぐらいで買えます。なのでだいぶ違う。いま住んでる家は、4つのベッドルームとリビング・ダイニング、それにキッチンがあります。そしてバスルームが2つ、トイレが3つあります。広さは約250㎡です。

自分がサンフランシスコで生まれ育った家は、家族4人で4つのベッドルームとリビング・ダイニングでした。そして隣の家と隣り合っていて、くっついてる。でも、ポートランド郊外の家は隣の家との間隔があって、壁がくっついていないのが贅沢に感じる。駐車場も2台でしたが、ポートランド郊外の家には駐車場が4台あります。もちろん、サンフランシスコは大都市なんで、バスとか電車が便利。ポートランド郊外では車がないとどこにも行けません。

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2. カントリーマネージャーになった経緯


 

■里見:ここからNetskopeの話を少しお聞きします。そもそもNetskope Japanはどういう経緯で立ちあがったのでしょうか?

■Jin:私の場合は結構ユニークかな。普通のカントリーマネージャーは営業成績がトップで、そのまま営業のマネージャーになって、そしてカントリーマネージャーになる、というキャリアを歩むと思うけど、自分は違う。

Netskopeに入った11年前は、30名ぐらいの本当にスタートアップって感じで、アメリカでしか販売をしてなかった。海外展開とかまだ考えてもいなかった時期です。正直、僕も「この会社うまくいくのかなぁ?」って不安がありました。でも、子供もいなく、独身だったので、チャレンジしてみようと思いました。万が一、会社が潰れてもなんとかなるかなぁと。一度はスタートアップに挑戦したいなって思っていたので。夢があった。そして、マーケティングチームは前職の仲のいい人たちでした。まあ少なくともこの人たちとは仲良く働けるってわかってた。

最初はセールスフォースの導入のために、コンサルとしてNetskopeに入りました。僕は自営業をしていたので。そこから営業部の責任者とかCEOとかと知り合いました。で、正社員になってくれないかっていう打診を受けました。そこでNetskopeに入ったのですが、まさか十年後に3000名以上の規模になるとは思いませんでした。想像もつかない。

■里見:100倍ですね。

■Jin:うん、今年は多分、4000名になるから、100倍以上ですね。その後、当初はヨーロッパとかオーストラリアとか、英語の資料をそのまま持っていける国から海外展開に入りました。GartnerのMagic Quadrantで毎年リーダーだったので、日本のシステムインテグレーター とか代理店とかの駐在員からお問い合わせいただくようになってきました。まあまだ日本展開には早いけど、この人日本語できんじゃん、みたいなことで、営業として駆り出されました。プラグ・アンド・プレイにいたNTTコミュニケーションズの小室智昭さんとか、KCCS(京セラコミュニケーションシステム)とかTED(東京エレクトロンデバイス)とか、CTCアメリカとか、そういう会社の方々からね。

まあ、ノルマもプレッシャーもなかったので。その頃、自分はセールスオペレーションをインサイドセールスでやっていましたが、セールスチームも両方やることになりました。ちょっと残業が増えたけど、楽しかったし。もちろん、スタートアップなので残業代なんてでないですよ。まあでもとにかく楽しかった。いろんな人と交流できるんです。

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2018年6月14日:後にネクストモードのメンバーとなる小原史裕、里見、増子亮と共に

■里見:セールスは順調でしたか?

■Jin:最初は日本語の2バイト文字だと機密情報が検知できないとか、文字化けしちゃうとか、GUIが日本語になってないとか、マイナンバーの検知ができないとか、いろんなバグを使ってもらった方に検知してもらいました。Netskopeの開発はすごくて、アジャイルでどんどん作っちゃう。直近で日本の売上げ見込みがなくても、会社が柔軟に対応してくれるんです。すぐに修正してくれました。

そんなことをしていたら、Mario Puras(以下:マリオ)っていうSEチームの責任者から、ちょっとテストマーケティングで一緒に日本のお客さんを回ってくれないかって言われました。日本のお客さんに営業をするのは人生ではじめてでした。

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2025年3月:バンクーバーのパスタ屋「Grassa」にて

■里見:日本に行っていきなり売れたわけじゃないわけでしょ。

■Jin:もちろんですよ。Netskopeってなに?って感じだった。技術的に興味は持ってくれるのですが、もちろん予算とかないですし、なんか今すぐ買いますみたいなレベルではなかったんです。

けど、ちょっと、CASB(キャスビー)っていうキーワードがバズっていたので、一応、製品説明の初回アポは比較的取りやすかったです。本当はそのマリオっていうSEチームの責任者と一緒に回る予定だったんですが、もう打ち合わせが多すぎて、結局、別行動になっちゃいました。売れなかったけど、良い出だしだと思った。

そして、お客さんはいないけど、3社の代理店を獲得できた。それだけでも、日本に行った甲斐があった。代理店契約しちゃうとやっぱり営業部の責任者から注目度が上がっちゃうじゃないですか。案件登録どうなってるの?とか、マーケとかやってんの?とか、営業体制どうするの?とか、そういう話になっちゃうんですよ。

そこで、日本でのカントリーマネージャーを探すことになりました。色々と探したんですけど、なかなかいい人が見つからない。そしたら、代理店の方が「Jinでいいじゃない?」って言ってくれたんです。

ハタと気が付いて、チャンスを与えてもらえたと思いました。自分から「カントリーマネージャーをやらしてください、やりたいです」と言いました。うまくいくかどうか分からないけど、挑戦したいと思った。

■里見:その時の気持ちの変化ってありましたか?もともとカントリーマネージャーをやりたいと思ってNetskopeに入ったわけではないですよね?

■Jin:Netskopeに入った時はカントリーマネージャーをやるなんて想像もできなかった。

■里見:でも、そのタイミングでやってみたいと思ったきっかけは?

■Jin:マリオっていうSEチームの責任者と一緒に出張して、いろんな見込み客を代理店の方と一緒に回って、楽しいなって思った。すぐに検証します、買います、みたいなお客さんはまだいなかったんですけど。「これはやりがいがある」って思っちゃった。

■里見:Netskopeに入る時もこの会社どうなるかわからないなと思ったけど、カントリーマネージャーをやる時も、まだ日本に顧客もいないし、どうなるかわからない。でも、面白そうだからってやってみた?

■Jin:うん。こうやって言うと、なんかマゾ(マゾヒズム)に聞こえてしまうかもしれないけど、「難しいからやりたい」って思った。「これ、ちょっと難しそうだからこそ、面白い」みたいな。その方が達成感があるじゃないですか。

■里見:自転車で喩えれば、「この急な上り坂、きつそうだけど登ってみよう」みたいな、そういう気持ちですか?

■Jin:うん、そうそう。僕、自転車もヒルクライムが好きなんだよね。

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3. カントリーマネージャーの苦労


■里見:実際やってみて、苦労したこととかはありましたか?

■Jin:興味持ってくれる見込み客はすごくいっぱいいて、初回の製品説明のアポは取りやすかったんだけど、なかなかそこから前に進まなかった。最初の1年半ぐらいは売れなかった。1年半ぐらいは、誰でも喜んで訪問しますって言って、どこでも行っていた。もうひたすら製品説明して、もちろんその後のフォローとかもして。アップデートの説明のお時間くださいとか、そういうことをやってた。マーケティング活動で多少のリード獲得とかアウェアネスを高めていくことを、代理店さんの力も借りて、頑張っていた。でも、やっぱり一人だと、まぁ頑張っても1日5、6件しか営業に回れないじゃないですか。限界があるんですよ。自分の他に社員がいるわけでもないんで。

その頃、NTTコミュニケーションズの小室智昭さんが社内向けのイベントをやろうと思ってるんだけど、登壇してくれないかって声をかけられました。「ええ、やりますよ」と答えました。もうなんでもやりますよ、ってスタンスだったので。で、そこに行ったら、私の後に登壇したのがDruvaの山本浩司さんで、そこではじめて知り合いになりました。で、山本さんがクラウドネイティブの齊藤愼仁さんを紹介してくれて。で、齊藤さんのお家で里見さんと出会った。まさか小室さんのイベントで登壇したから、ネクストモードの里見さんと出会えるなんて思いもしないですよ。わかんないじゃん。

だからまあ縁ですよね。セレンディピティみたいな出会いがいっぱいあって。営業は偶然だけど、偶然の確率を増やすのは、訪問回数の多さなので、頑張ってみました。その結果、山本さんから実際のエンドユーザーも何回か紹介いただいてますし、もちろんクラウドネイティブにも。ネクストモードからもいろんなお客さんを紹介してもらって。ネクストモードは何回もアワード(Top Hunter award等)を取ってるしね。

でも、僕があの時、その小室さんのイベントに行ってなかったらこの繋がりはない。当時はNTTコミュニケーションズ、Netskopeの代理店ではなかったんですよ。だから、まぁこんなの直接の売り上げに繋がらなさそうだなぁって思って行かない人もいると思う。小室さん、新しいもの好きだからさ。

呼ばれたら、どこでも行きますっていう。それはまあ必ずしも成功するかどうか分からないけど、そんな1年半だった。日本にやっぱりものを持ってくる時って、最初なにが起こるかわかんないから、とにかくいろんなところにこう当たってみるっていう。で、徐々に成功事例が出てきた。あ、なるほど、こういうニーズ・課題を解決できれば売れるんだってわかってきた。

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■里見:1年半も成果がでなくて、お前何やってんだ?みたいな話はなかったんですか。

■Jin:今のNetskopeだと言われると思う。でも、すぐに売り上げを期待するのは厳しいと思う。当時は新しいマーケットの開拓にあたり、上司が私のことを信用してくれてた。日本は時間がかかるって。

■里見:じぁあマリオが信頼してくれたんだね。

■Jin:そう。だから初年度も一応、私にはターゲットはあったけど、その数字は達成できなかった。でも、なんか頑張ってるから、ちょこちょこご褒美みたいなボーナスまでもらえた。営業は数字を達成しないとボーナスをもらうべきではない。だけど、そんな自分にボーナスをくれた。感謝の気持ちもあったんで、これは借りたお金だから返さないとって。売れないけど、やっぱり何とか返さないとと。

■里見:ハングリーさとか、マゾっぽいところとか、そういう気合がカントリーマネージャーには必要だと思いますか?

■Jin:必要だと思います。ただ、立ち上げ期のカントリーマネージャーに必要なものと、出来上がったものをさらに育てるカントリーマネージャーとは、必要なスキルとか価値観が違う。世の中には、こう立ち上げを何回もやりまくるタイプのカントリーマネージャーもいるじゃないですか。逆に、大企業の責任者として成功するタイプもいる。ゼロイチとイチジュウの両方ができる人ってなかなかいないんじゃないかな。ゼロイチはやっぱすごく楽しかったし、ゼロイチが大好きなんだね。そのまあ苦労したんだろうけども、それが面白かった。

部下がやってくれると嬉しいし、おめでとう、ってなるけど、なんか、自分でやったんだ、みたいな達成感は一切ないから。「彼らがやったんだ」っていう感じ。大きくなってきてるとどうしてもそうなっちゃう。自分の達成感みたいな感じが徐々になくなる。ぶっちゃけつまんないね。つまんないって言ったらひどいけど。で、まあつまんないって感じちゃう人もいてもいいし、それが生きがいの人もいる。タイプが別れる。

■里見:一番達成感を感じるのはどんなときですか?

■Jin:自分が採用してコーチングした人が長く勤めてくれて、徐々に成果を積み上げて、遂にはプレジデンツクラブ(ターゲットが達成した人たちが行けるご褒美旅行)に大勢参加できたときは嬉しかった。自分の部下の出世とか。そっちに達成感を感じるようになる。案件とれたからどうのこうのではなくなっちゃうね。うん、結局だって、セールスのフェーズの最後の方にようやくお客さんと会うようなことが多くなって、営業の苦労や喜びを生で感じにくくなっちゃう。なんか受注直前みたいなタイミングでしか会わないから、初回の製品説明の機会とかなかなか少なくなっちゃうんで。それはつまんない。自分のロールが変わっていく。

20230726_2058592023年7月26日:大勢のNetskope Japanのメンバーと共に


4. 家族の支え


 ■里見:カントリーマネージャーになったタイミングで日本に引っ越したんでしたっけ。

■Jin:その後、1年ぐらい経ってからですね、引っ越しは。Netskope Japanがようやく5人ぐらいの体制になって、宮田恒毅さん、曽我部佳史さん、小林宏光さんがジョインしてくれていた。

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2019年8月2日:日本に引っ越してきたJinの家で、宮田さんと一緒にワイン会

■里見:日本に引っ越そうよって奥さんに言ったら?

■Jin:「うん、行こう」って言ってくれた。彼女はまぁ、日本人だから。その時、子供はまだ1歳だった。いまは3人の子供がいるけど、そのときは1人だったから、比較的あの時は引っ越ししやすかった。

■里見:当時は相当忙しかったと思いますが、家族には支えられましたか?

■Jin:はい、すごく支えになりました。私はもう、仕事に100%集中できたんで、本当に助かりました。彼女が家を完全に支えてくれてたんです。もちろん、たまにおむつ変えたりはしてたけど、それ以外は正直ほとんど何もできていなかった。僕は夢を追うことに全力を注げたのは、彼女のおかげです。

子どもが1人のときも大変だったけど、そのあと2人、3人と増えて、育児も家事もどんどん大変になっていったのに、いつも笑顔で「大丈夫だよ」って支えてくれました。ただ、彼女のことを考えると、ひとりで単身赴任をするっていう考えにはならなかった。少しでも自分も子育てを手伝いたかったので。

たとえば、僕が深夜まで働いて帰ってくると、本当に疲れていて、気絶するように眠っている。3人の子供はモンスターのようなもので、目を離すとなにをするかわからない。朝06:00に起きて、子供のご飯の準備やトイレの世話をする。うちの子供はまだお尻を自分で拭かないんですよ。だから、そういうこともやってくれている。自分が出張に行くときは、ほんとうに悲しそうな眼をしながらも送り出してくれる。そんな彼女の支えが、当時の自分には本当に沁みました。

ある日、僕が出張から帰ってきたらコロナになっていて、自宅から隔離するためにホテルに泊まった。そしたら、次の日から彼女もコロナになって、仕方がないからマスクをして家に帰って、子どものご飯を作った。その日も僕は朝から晩まで会議とプレゼン続きだったけど、改めて彼女がどれだけ大変かってことに気付いた。それでも、彼女は「あなたは仕事に集中して」って、数日寝込んだだけで、その後は僕に頼ってこなかった。日頃の彼女の献身を知って、涙が出るくらい申し訳なくて、そして感謝の気持ちでいっぱいになった。

「あなたの夢が叶うのを見たいから」って、彼女が言ってくれたのは、今でも僕の支えです。もし彼女がいなかったら、ここまでやってこれなかったし、今の自分も会社も存在してなかったと思います。上司にも家族にも恵まれて、あとは自分がどこまで頑張れるか。だから、万が一うまくいかなかったとしても、「全力を尽くしてやりきった」と胸を張って言えるようにしたかった。自分だけではなく、家族と会社のためにも。

■里見:Jinの奥さんと話していると、とてもJinのことを愛していると感じました。

■Jin:うん、彼女は僕のことを愛してくれていると思う。そうあって欲しい。

■里見:それでも、ずっと全速力で会社の為に走り続けていると、息切れしませんか?小さなお子さんと過ごせる時間は、一生に1度しかないし。

■Jin:だから今は、少しでもその恩返しがしたくて、できるだけ家族との時間を大切にしています。子供たちの送り迎えも、時々だけど、やるようにしてるし、週末は子供たちと朝から過ごすようにしている。せめて彼女には週末、09:00までぐっすり寝ていてもらいたい。あのときの彼女の支えがあったから、今がある。それだけは絶対に忘れないです。

■里見:今年の1月に退任されるまで、7年間のカントリーマネージャーの任期の中で、一番楽しかったなって思い出はなんですか?

■Jin:そうですね。仕事ってカウントしても良いのか分かんないですけど。すごい大人数で、Netskope Japan、ほぼ全員でプレジデンツクラブに合格したことです。家族のためにも勝たなければならないって思っていたから、嬉しかった。1回目はハワイでした。2回目はシシリア。みんなで去年の成果達成おめでとうございますってお祝いできたのはすごくいい思い出になりました。

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2023年6月14日:シシリアのプレジデンツクラブでアイスを食べるJin

■里見:最初全然売れなくて苦労したけど、成果をみんなと一緒に分かち合えたことが楽しかったんですね。

■Jin:そうですね。あとは2019年5月にNetskope Japanローンチイベントっていうのをペニンシュラホテルでやったんですけど、それもすごく楽しかったです。あの時はNetskopeのロゴ入りの樽酒を割りました。お客様が何社か登壇してくれて、Netskopeのファウンダー(Founder)やCTOも来てくれた。私の上司も来てくれました。そのときに、ハッピ(法被)作ったんだよね。そのハッピ、まだ持ってるんで。それだけ、やっぱり思い出が深い。

 

4. 日本を離れるにあたっての、日本へのメッセージ


■里見:日本への想いを、最後に聞かせてください。
 
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■Jin:僕は日本が大好きです。日本っていう国が大好きだし、日本食(特にラーメン)が好きだし、日本人が好きだし、日本の文化が好きです。もっとね、世界中の人たちに見習ってほしいと思います。例えばですよ、里見さんもすごく実感してると思うんだけど、サービスのレベルが全然違うじゃないですか。でもアメリカではサービスにチップが必要。日本の方がサービスの質がいいのに、プライスレスでおもてなしをしてくれる。そして、日本のほうが綺麗。アメリカよりも、ヨーロッパよりも綺麗。そして日本人は優しい。そんなところをもっと見習ってくれればいいのになって。相手の気持ちを考える思いやりっていうかね。

大好きな日本で、もっとNetskopeが流行って働き方が変わるといいなって思います。今後は出張ではなく、プライベートで日本に行きたいと思ってます。今後は出張ではなく遊びで行きたいと思ってます。もし、Netskope JapanでIPOパーティーをやるとしたら、僕はもう自腹でいいから参加したいです。

■里見:それは楽しみです。我々もNetskopeを使ったあたらしい働き方を日本で広めて、IPOパーティーが開けるように頑張ります。今日はありがとうございました。

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2025年1月22日:Jinの送別会にて、次のカントリーマネージャーである権田裕一さんと