日本酒をこよなく愛する里見です。2020年に会社を立ち上げて以来、年間100日を超える日々、仕事と旅とを交差させながら暮らしてきました。「ワーケーション」という語が次第に聞かれなくなりつつある今もなお、旅先でノートパソコンを開く習慣は続いています。時代にふさわしい「経営者のフィールドワーク」と信じているからです。
今回、舞台となったのはネパール、標高5,000メートルを超えるヒマラヤの山々です。電気もネットも頼りにならぬこの地で、クラウド実演販売を生業とする企業の代表として、自費で旅に出て、極限の自然に身を置きながら働くことに挑みました。
なぜ、そのような試みに身を投じるのか──それは、「本当に役に立つIT」とは何かを、自らの目で確かめたかったからです。
極限の地に立ち、都市では気づけなかった課題と向き合うことで、クラウドの意義がより鮮明に浮かび上がってきます。同時に、働き方や生き方そのものへの問いもまた、静かに立ち現れてきます。
これまでの旅を合わせると、アンナプルナ・ベースキャンプ(ABC)に2度(2024年と2025年)、アンナプルナ・サーキット(ACT)に1度(2025年)、行ったことになります。その体験をもとに、参考までに情報を記録しておきます。
アンナプルナ・サーキット(ACT)トレッキングの費用
宿はポカラのPokhara Backpackers Hostelです。ここで旅程を整え、ACTに向かいました。仕事の合間を縫っての登山ゆえ、最短でトロンパスを越えることを最優先に短縮コースを選択しました。
ジープは少し高いですが、チャーターにしました。ガイド兼ポーターのDeepak Sunarの紹介を受け、安全な登山を支えていただきました。彼には深く感謝しています。
なお、5,000mを超えるトレッキングは高山病のリスクが高いため、下記のコースは誰にでも推奨できるコースではありません。
今回参加した3名は、2週間前に北アルプスの乗鞍岳3,026 mに登って高地順応をしておきました。また、穂高岳や富士山の登山経験があり、高地にはある程度馴染みのある面々です。高地順応の持続時間については数日から数週間と言われており、ランニング等のトレーニングも並行して準備するのがオススメです。
以下にかかった費用を記します。金額はすべて一人当たり、ネパール・ルピー建てです(1ルピー=約1円)。
【ホテル手配:約25,200ルピー】
①ポカラ〜マナン間ジープチャーター:45,000ルピー(3名でシェア)
②ポーター兼ガイド6日分:20,000ルピー(3名でシェア)
③ACAP入山許可証:3,500ルピー
【ムクティナート現地手配:約3,300ルピー】
④ムクティナート〜ポカラ間の乗合ジープ:10,000ルピー(3名でシェア)
【宿泊・食費:約12,000ルピー】
⑤山小屋5泊:1,200ルピー×5日(3名でシェア、トイレ・シャワー付)
⑥食費:1,000〜3,000ルピー×5日(食事内容により差があります)
【総額】
約40,500ルピー(別途、装備等の準備費用が必要です)
節約する場合は以下の方法もあると思います。
①ベシサハールまで公共のバスで行く、②カトマンズからベシサハールまで直接行く、等の方法があります。また、③ポーターを雇わないで自力で行く、という方法もあります。④入山許可証(ACAP)は、自分で手配すれば500ルピー安くなります。
なお、CNNの記事にもあるように、ネパール全土で単独トレッキングが禁止されています。安全のためにも、ガイドやパートナーとの同行が望ましいです。
標高5,416mトロンパスまでの道のり
標高5,416mトロンパスを越える道のりは、まさに異界との境界を踏み越えるような経験でした。
外国人のトレッキング日程は2週間程度であることが多いようですが、我々はゴールデンウィークを活用したため、タイトな日程で登りました。チャーメからマナンへのトレッキングはとても景色が良く、山小屋も街も整備されているようなので、いつか、時間を作って歩いてみたいと思います。
以下に旅程を記録しておきます。
1日目(4月25日 金曜):ポカラ→チャーメ(ジープ移動)標高2,670m
2日目(4月26日 土曜):チャーメ→マナン(ジープ移動)標高3,469m
3日目(4月27日 日曜):マナン→ヤクカルカ(徒歩)標高4,018m 3時間40分:休憩込
4日目(4月28日 月曜):ヤクカルカ→ハイキャンプ(徒歩)標高4,800m 5時間40分:休憩込
5日目(4月29日 火曜):ハイキャンプ→ムクティナート(徒歩)標高5,416m→3,800m 11時間:休憩込
6日目(4月30日 水曜):ムクティナート→ポカラ(ジープ移動)

スケジュールと共に悩んだのが、ポーターを雇うかどうかです。昨年のABCは自力で登ったこともあり、今回も可能ではと考えていました。実際、ポーターなしで登っている方もときどき見かけました。しかし、結果的には同行者の存在が、登山の安全と成功を大きく支えてくれました。
ヒマラヤの環境は気まぐれです。ガイドブックやYouTubeで予習しても、地図に記された道が崩れていたり、ジープでアクセスできる地点が異なったり、雨や雪が降って橋が流されたりします。ポカラに到着後、宿のスタッフなどから最新情報を得る努力が不可欠です。
ポーターDeepakの的確な助言には、何度も救われました。「ABCとACTは違う」と何度も諭されたのも、彼の言葉です。標高5,000mという地は、誰もが登れる場所ではありません。撤退も選択肢とした上で、無理のない計画が求められます。ヒマラヤは逃げません。
以下、登りながら書いていたメモをもとに、現地の様子を写真で紹介します。
1日目:ポカラ→チャーメ(ジープ移動)
初日はジープでチャーメに向かいました。当初はチャーメからマナンまで歩く予定でしたが、ポーターの助言によりジープ移動に切り替えました。追加料金は10,000ルピーでした(上記金額に含まれています)。
実はポカラでは風邪を引き、さらにお腹も壊していたため、初日から不安なスタートとなりました。この日は10時間ほど睡眠をとりました。
初日から予想より寒く、夜は0度前後でびびってます。
まだ2,700mなので、先が怖いです。
風邪気味だったのですが、それは日本から持ってきた薬で徐々に良くなってきています。
ただ、昨晩から下痢に悩まされて夜は6回トイレに行きました。
朝はお腹にいいものだけを食べようと思います。

初日から目の前に広がる景色は美しく、胸が高鳴りました。

チャーメ到着は夕方で、泊まった宿は清潔でした。トイレとバスは共同でしたが、快適に過ごすことができました。

ACTはABCに比べて食事が圧倒的に美味しいと感じました。
2日目:チャーメ→マナン(ジープ移動)
この日もジープでマナンへ向かいました。到着後は身体を慣らすため、500mほど高度を上げて近くの丘にトレッキングを行いました。体調は徐々に回復してきましたが、まだ本調子とは言えませんでした。この日も10時間以上眠りました。
朝からお腹がフリーフォール。昨晩から合わせると、10回以上トイレに行っています。ローカル・スパイスはまだ受け付けません。
アンナプルナを背に、小粥をすすりながら「誰だよ、ここまで体力落としたの…」と情けなくなります。
ロキソニン、ルル、葛根湯、ダブル下痢止め、抗ヒスタミン、整腸剤、ビタミン…自分で作った薬局セットが元気の源。
3,500m超えたら快適さは幻、、、だと思っていたら、マナンで病院を発見しました。ボランティアの医者が常駐してました。ほんと、ありがたいです。
病院で炎症止め(イブプロフェン)と抗ヒスタミン剤の入った風邪薬をそれぞれ1シート(12錠)買いました。
今日もぐっすり寝て、明日に備えます。

チャーメからマナンへの途中、美しい湖にも立ち寄りました。
マナンでは高度順応のため、丘の上までトレッキングを行いました。

ここから望む山々の景色もまた格別でした。
昨晩はさっさとベッドへ。ひたすら爆睡。
高地(標高3,500m)で10時間も寝ていいものか悩みつつ…とにかく体力はぐんぐん回復してきました。
お腹の調子もだいぶ落ち着き、今日は標高4,000mへの挑戦。
それにしても、ネパールの人たちの大らかさには毎日癒されています。
山の中も粉塵で真っ白ですが、それすら「ネパーリーパウダー」と勝手に命名。
"ネパールタイム" と呼ばれる、ゆる〜い時間感覚にもすっかり慣れてしまい、日本に帰ったら社会復帰に苦戦しそうな予感…。
英語も堪能なポーター、Deepakの体調への気遣いには、心から感謝しています。
カフェで見かけた、斬新すぎる薪の入れ方には思わず笑みがこぼれました

山道では馬の姿も多く見られ、その背後にはヒマラヤの雪山が広がっていました。
3日目:マナン→ヤクカルカ
いよいよ本格的なトレッキングが始まりました。まだ完全に高度順応できていないため、500mだけ標高を上げて、慎重にヤクカルカへと向かいました。
ヒマラヤのアンナプルナ周遊コース、ヤクカルカに到着。
途中で200mほどポーターに荷物を持たせてもらいました。
ハイテンションで荷物を担いでますが、休んでいたポーターは呆れた顔でした。
最初は余裕?!なのですが、やっぱりシンドイです。
途中から雪が降ってきて、すこし積もりました。
4,050mは思ったより寒いです。
こんな高地ですが、ヤクのステーキが最高に美味しい。
元気になって、食欲旺盛です。
その後は日がでてきて、雪も溶けました。
ネットワークは不安定で、WiFiがほぼ駄目。
ワーケーション向きな場所ではないですね(アタリマエ)。
ABC(アンナプルナのベースキャンプ)のコースの方がネットワークは高速です。
ヤクカルカでは、ヤクのステーキ:1,200ルピーを食べました。めちゃくちゃ美味しかったです。
ポーターに荷物を担がせてもらいました。
やがて雪が降り始め、山小屋は白く染まりました。
標高4,050mの冷気は想像以上に厳しく、それでもヤクのステーキが体を温めてくれました。
日が差して雪も溶け、気分も晴れてきました。
4日目:ヤクカルカ→ハイキャンプ
トロンフェディを経由し、次なる目的地であるハイキャンプを目指しました。ポーターのDeepakからは、「ハイキャンプまで登っておけば、翌日の峠越えが楽になる」と助言を受け、予定を変更することにしました。標高4,450メートルのトロンフェディでは軽い頭痛がありましたが、体調はそれほど悪くなく、先を見据えて前進する決断をしました。
ハイキャンプまではわずか350メートルの標高差ですが、高地ではこの「わずか」が決して侮れません。標高4,800メートル──そこは平地の約半分、酸素濃度が50%前後という過酷な環境です。高度が上がるにつれて空気はどんどん薄くなり、肺が酸素を求めて苦しむ感覚が増していきます。気温もぐっと下がり、風は容赦なく体温を奪っていきます。歩幅を小さくし、深い呼吸を意識しながら、慎重に足を進めました。
夕方遅くにハイキャンプへ到着しましたが、すでに個室は満室となっており、山小屋のようなドミトリーに泊まることになりました。富士山の山小屋を思わせる簡素な作りで、布団は薄くて底冷えし、汚れていて独特のにおいがありました。それでも、屋根のある空間に泊まれるだけでもありがたく感じました。持参していたエマージェンシーシートを布団に敷き、手拭いを枕代わりにして、なんとか眠れる環境を整えます。夏用の寝袋しか持っていませんでしたが、エマージェンシーシートとの併用で、十分な暖かさを得ることができました。
Deepakは、「頭痛は誰にでも起こること。心配いらない。ただし、吐き気やめまいが加わるようであれば、すぐに教えてほしい」と繰り返し声をかけてくれました。高地では、体調の変化を正直に伝えることが命を守る第一歩です。たとえ小さな異変であっても、見過ごせません。
到着後まもなく、高山病の症状が強く現れてきて、激しい頭痛に襲われました。高山病対策で、ロキソニンを飲むという動画を見た覚えがあったのですが、ダイアモックスと併用していいものか、対策としてなにが有効か、スマホで調べました。インターネットの速度がISDN並みに遅く、Google検索まではできるのですが、画像の含まれたページの表示に数分かかります。そこで、ChatGPTを立ち上げてテキストで検索。これがとても便利で、通信環境の悪い場所では、テキスト情報だけで通信ができるAIは最強の検索ツールだと思いました。
ロキソニンを服用して横になっていると、30分ほどで痛みは和らいできました。薬を飲んで横になっている間も、Deepakは何度も様子を見に来てくれて、体調を気遣ってくれました。薄暗い狭い小屋の中で、彼の優しい眼差しが印象的でした。
同室だった韓国の登山者も心配してくれて、血中酸素濃度をパルスオキシメーターで測ってくれました。寝起きの測定だったにもかかわらず、血中酸素濃度は85ありました。コロナ禍で一般にも知られるようになったこの数値ですが、高山病のリスクとしては、70を下回ると危険とされているようです。一方で、経験豊富なDeepakは「数字はあくまで参考。実際の体調のほうが大切」と教えてくれました。
高山病を予防するには、無理のないペースでの行動、高度を上げすぎないスケジュール、水分のこまめな補給、そして十分な休息が欠かせません。また、適度に「高度順応」のための休養日を挟むことで、体が環境に慣れていきます。今回は行程の都合上、先に進まざるを得ませんでしたが、それでも常に体調を観察しながら慎重に進むことを心がけました。
夜、トイレのために外に出ると、空には満天の星が広がっていました。空気はひどく冷たかったですが、なぜか心は穏やかでした。峠越えを前にした緊張感と、限界環境で働く人々の温かさが、静かに胸に沁みわたっていきました。
ハイキャンプ──そこは、空と地の境界にある、人の体と心の限界を試される場所でした。
多くの人が4,450mのトロンフェディで泊まるのに習って、当初はその予定でした。
しかし、登頂成功を優先するなら4,800mのハイキャンプまで行ったほうがベストだとポーターからアドバイスされ、議論の末にスケジュールを変更。
この日はヤクカルカから800m標高を上げました。
4,000m以上は1日に登る標高は300mを超えないほうが安全と言われています。
すこし怖かったのですが、、、やはり高山病の頭痛が強くでました。
ガンガンに頭が痛く、このまま他の症状がでたら下山しかないと焦りました。
後で知ったのですが、この日はスイス人の女性がハイキャンプで倒れて、タンカで運ばれていたようです。
ポーターのDeepakは不安にさせてはいけないと思い、自分には伝えなかったようです。
あのとき、これ以上、里見の体調が悪くなったら、ひとりだけ下山させるか、みんなで下山するか、どうするかを考えないといけないと実は心配していたと、後からDeepakに言われました。
気の持ちようと体調管理、このバランスが大切だと思いました。
誰もが登れる高度ではなく、ランニングで鍛えておいて良かったです。
ロキソニンを飲んだら頭痛が嘘のように消えて、夕食を食べずに朝まで10時間爆睡。

トロンフェディのロッジ。食欲は減退し、昼食はガーリックスープだけで済ませました。

ロッジはとてもオシャレで、焼き立てのパンが売ってました。西洋人が多く、アジア人の多いABCとは違います。

ハイキャンプに向かう険しい崖。辛かったですが、5日目のトロンパス程ではないです。

4800mのハイキャンプに到着。笑顔ですが、実際にはクタクタです。
5日目:ハイキャンプ→ムクティナート
トロンパスに向けて出発。標高五千メートルを越える風に吹かれながら、遠く霞む峰々を仰ぎました。過ぎ去ってしまえば、視覚的な記憶よりも、身体の記憶だけが鮮烈に残っています。酸素の薄さにめまいを感じながら、冷気が肺の奥を鋭く突き、かすかに頭を締める、、、そして目の前には神々の山嶺。
02:30に起床して5,400mのトロンパスへ。
体調は不思議と回復していて、頭痛もありません。
昨晩は寝返りを打つたびに息苦しくなりましたが、深呼吸をするとまた眠れました。
昨晩、同行したメンバーが頭痛を訴え、ペインキラーを渡しました。
寝起きには、もう一人の同行したメンバーも頭痛を訴え、ペインキラーを渡しました。
朝食はソイジョイを6本とガーリックスープ。
高地では息をするだけで体力が奪われ、エネルギー不足となりました。
いつものようには登れず、太腿に力が入りません。
ヨチヨチ歩きで凍てつく岩壁に食らいつきます。
雪が深くなり、途中から軽アイゼンを付けます。
プラティパスの水は給水口が凍りました。
朝焼けが綺麗で、8,000m級に囲まれて登る景色は格別でした。
トロンパスからの景色はかつてないほどに素晴らしく、筆舌に尽くしがたいです。
その後は3,800mのムクティナートまで一気に下山。
山頂からは、3時間ぐらい山小屋がなく、水も食べ物の補給できません。
もうすこし炭水化物を持ってくればよかったと後悔しましたが、あれこれ考えるよりも、まずは下山のスピードを速めました。
1,600mmも一気に下る道は、乾燥したカサカサの砂利道で、眺望も禿山で変わり映えしません。
思ったよりも激しく体力が削られます。
11時間の行程で、足りない食料や薬を分け合ったり、不足したアイゼンを片足だけ付けて乗り切ったり、色々と課題はありましたが、助け合って乗り越えました。
体力的に過去一番でキツく、それ故に充実もしてました。
次は6,000mにチャレンジか?って、登る前は思ってましたが、5,400mがここまで辛いとは思っておらず、学びの多いチャレンジでした。
ポーターのDeepakに感謝。

暗闇の中、ヘッドライトを頼りに一歩一歩登ります。
暗闇に浮かび上がる山並み、息をのむ美しさです。
夜が明けてきました。辛い登攀も、澄み渡った空気と景色で晴れやかに。
8,000m級の白峰が茜色に染まります。
登頂できたときは、ほんとうに嬉しかったです。
最後に
今回の登山で得た学びを備忘録として記します。
●パーティーとポーターの支えがあってこその登頂でした。自分ひとりの力ではない。
●4,000mを超えると、パーティーに自分の体調をオープンにすることが大切。
●登り方にはひとそれぞれのペースや方法があって、その多様性をまとめるのが登頂の秘訣。
●ペインキラーや風邪薬を多めに準備。事前服用も検討。
●苦しく辛いときこそ背筋を伸ばして酸素吸入量を増やす。
●食欲減退には個人差があり、山小屋のご飯が合わないときの備えを持つ。
●アタック前夜と当日の朝はしっかり食べる。
●ダイアモックスはお守りとして適量を服用。
●1日に2リットル〜4リットルの水を飲む。とにかく飲む。
※別のブログで、持っていった荷物を紹介したいと思います。
※ヒマラヤの通信環境については、このブログでまとめています。
ポカラからジープに揺られ、チャーメ、マナンを経て、氷雪の尾根へ。情報の通わぬ地にて、通信の点滅を頼りにSlackを確認し、ドキュサインの契約書に目を通す自分がいました。標高5,000mでも業務を遂行できる時代に生きていることを実感しました。
クラウドという目に見えぬインフラが、この過酷な旅を支える存在であったことは間違いありません。ヒマラヤで働けたこの経験が教えてくれたのは、「場所に縛られない働き方」は理想ではなく、意志と技術があれば現実になるという確信です。
人はもっと自由に、もっと柔軟に働くことができるはずです。そしてそれは、日本の生産性向上にもつながると信じています。
「働くとは、どこで、どうあるべきか」。その問いに明確な答えはありませんが、ひとつの実証例として、今回の旅は貴重な示唆を与えてくれました。
ネクストモードは、これからもクラウドの力を活かし、自ら実証し、発信していきます。どこにいても働ける時代を当たり前にするために。
「クラウドで、あたらしい働き方を。」