日本酒をこよなく愛する里見です。2020年7月に会社を設立して以来、これまで1,000日以上の旅をしてきました。今年はスターアライアンスの世界一周の周遊券を使って、旅をしながら働いています。
2026年9月19日から、エベレストBC(ベースキャンプ)を目指してエベレスト街道を歩いてきました。これまで、アンナプルナBCやサーキットに5回登ってきました。比較をすると、ご飯の美味しさは以下となります。
不味い:アンナプルナBC < アンナプルナサーキット < エベレスト街道:美味しい
エベレスト街道のご飯はとても美味しかったのですが、これまでの経験から言って、この時期のエベレストやアンナプルナは避けたほうが無難です。ガイドブックに書かれた数年前の情報と比べて、随分と気候が変化しています。
近年は気候変動により雨季が長引いていて、がけ崩れが多発する時期です。10月に入ってもかなりの死者がでていて、道路も度々寸断されます。少し寒くなりますが、これまでの基準をひと月後ろにズラして、10月中旬以降のほうが安全に登れると思います。
以下、9日間の登山日記です。これから登る方の参考になればと思います。

1日目:カトマンズ → ルクラ(2,800m)→ パクディン(2,600m)
午前3時、カトマンズにて起床。夜明け前。それでも街には人がちらほらと居ます。
配車アプリのinDriveで呼んだタクシーに、一方的にキャンセルされます。仕方なく通りに出て、声をかけてきたタクシーに乗って空港まで。早朝の時間に500ルピーはありがたいです。
タクシーのフロントガラスからの景色、タメル地区にも人がほとんど居ません
4時40分、空港着。ゲートは閉まっていました。宿でもらった朝食のフルーツとマフィンを食べます。今日からの登山に備えて、カロリーは意識的に多めに取ります。
5時、ゲートが開きます。チェックインカウンターで「直近の3日間は飛んでませんが、今日は飛びそうです」と言われ、期待して待ちます。
空港にて、この時間はまだ元気です
しかし、時間になっても飛びません。電光掲示板は、遅延。さらに遅延。ベンチで寝ます。空港で知り合った韓国人マダムとヘリで行く方法もあるけど、どうしようかと雑談をして時間を潰します。日本語、英語、韓国語が堪能な方で、アメリカ在住のようです。
11:36の電光掲示板、午前中のフライトが軒並み遅延している
10時30分、韓国人マダムに「ヘリに乗りませんか?私たちのガイドが見つけてくれました」と誘われます。600ドルを550ドルに値切る彼女の英語は、機関銃のような弾丸トーク。マダムに感謝です。
250ドルの飛行機をキャンセル(手数料1割ほど)して、差額は300ドル以上。13時、ようやくチケットを入手、、、と思ったら、空港手数料として追加で50ドル取られました。既に7時間空港に居ます。長かった。キャンセル代と合わせて600ドル以上、約10万円のヘリです。

ヘリのチケット、手書きです。
14時、滑走路を横切るジープでヘリポートへ。炎天下で1時間待機。待合室? ありません。
ヘリポートまで移動、目の前は飛行機の滑走路で離陸する飛行機を間近に見られます。
ヘリの到着まで1時間ぐらい待ちました。
15時、離陸。予定から9時間遅れで出発です。

低空飛行であるため、街並みがしっかり見えます。
ただフライトを待っているだけなのですが、どっと疲れました。そして眠いです。しかし、高地で寝ると高山病になるらしいので、景色を眺めます。ヘリは飛行機と違って山肌のすぐ近くを飛ぶため、眼下にはネパールの山々と人々の暮らしが間近に流れていきます。斜面を刻む段々畑の緑、尾根にしがみつくように点在する家々。
最後は雨の中を飛びました。
15時40分、標高2,800mのルクラに到着。
実物の滑走路は、映像で見るのとは大違いでした。大きく傾いていて、しかも短い。大規模空港の滑走路の約6分の1しかなく、その先は崖です。「世界一危険な空港」と呼ばれる理由を身体で感じて、怖くなりました。
写真では伝わりにくいですが、急な傾斜と短い滑走路、怖くなります。
お金はかかりましたが、予定どおり登れることを考えれば、ヘリでよかった、、、ということにしておきます。
16時、下山後に泊まる宿に荷物を預けます。パソコンが入っているため、Pac Safeの金網でグルグル巻きにします。正直、もうここに泊まりたいほど疲れています。それでも休憩なしで宿を後にし、16時10分に出発しました。
しかし、日没との競争には勝てません。最後の15分は暗闇の中を歩きました。驚いたのは、道沿いにはソーラー式のLEDが灯り、闇の中に点々と道筋を描いていることです。エベレスト街道、お金かかってます。
ソーラーパネル付きの証明。
エベレスト街道を照らすLED証明。
驚くほど綺麗なロッジもありました。
18時30分、ロッジ着。新築でピカピカです。ルクラから少し下って標高2,600m、この時間になると冷え込みます。
食事のときには、山小屋なのに温かいおしぼりが出てきて、思わず顔を拭いてしまいました。ダルバートが身体に沁みます。お値段はアンナプルナの2倍ですが、美味しかったです。
シャワーは寒いのでキャンセル。カトマンズの安宿よりキレイな宿で、ひとり500ルピー。ぐっすり眠りました。
新しい綺麗なロッジでした。
2日目:パクディン(2,600m)→ ナムチェバザール(3,400m)
昨夜は雨だったようで、路面が濡れています。温暖化で、雨季と乾季の境目が崩れてきているようです。
天気予報を見ると、3日後から雪。アイゼンがなく、装備が足りないかもしれません。
7時40分に出発。今日は3,400mまで登ります。
この空を見ると、歩き出すエネルギーを貰えます。
高山植物が美しく、2600mは森林限界を超えていません。
綺麗な山小屋が多いです。
吊り橋がスリリングで楽しい。足元のはるか下を、白く泡立つ川が轟々と流れていきます。少し慣れてきたのか、川向こうの断崖に蜂の巣を見つける余裕まで出てきました。マッドハニーという特別な蜂蜜で、元気が出るといわれています。

吊り橋からの景色は絶景です。
岩肌に蜂の巣、命がけでマッドハニーと呼ばれる強壮剤を採ります。
パクディンで同宿だった中国人、カナダ人と励まし合いながら登ります。途中、空港で一緒にヘリを探し回ったアメリカ人と偶然再会。広大なヒマラヤにも関わらず、世界は意外と狭いです。
首の鈴を鳴らしながら荷物を運ぶ馬とすれ違い、高山植物を撮りながら、16時にナムチェバザールに到着。
たくさんの家畜とすれ違います。
飼い慣らされているため、近寄っても攻撃はしてきません。
綺麗に装飾されていたので、人を運ぶ「タクシー」でしょうか。
高山病はまだ出ていません。ただ、食欲が少し落ちてきて、お腹も張っています。気にしないことにします。
ナムチェは大きな街で、なんでも売っています。日本食レストランまであります。斜面に沿って、色とりどりの屋根がひな壇のように並ぶ街です。
宿選びは部屋を見せてもらい、2軒目で決定。雨の影響で観光客が少なく、登山シーズンなのに閑散としています。3,400mとは思えない綺麗な宿で、驚きました。珈琲も美味しく、これで500ルピーです。
宿泊した山小屋:Sherpa Barista ①
宿泊した山小屋:Sherpa Barista ②
宿泊した山小屋:Sherpa Barista ③
宿泊した山小屋では、夕食のピザがめちゃくちゃ美味しかったです。3,400mでこれを焼くのは大変だと思います。
温かいシャワーは550ルピー。疲れには勝てず、食後そのままベッドへ。布団も毛布も、気持ちのいい清潔さでした。20時30分、就寝。
3日目:ナムチェバザール(3,400m)で高度順応
高度順応日。3,800m付近までゆっくり登って下ることで高度順応します。30分ほど登って振り返ると、ナムチェの家並みが箱庭のように小さくなっていました。
エベレストビューホテルへ向かう途中、ヒマラヤのゴミを使ったアートの展示と工房に出会いました。山に登る者として、ゴミを持ち帰る責任を感じさせる展示でした。
Everest trash art ①
Everest trash art ②
Everest trash art ③
Everest trash art ④
Everest trash art ⑤
エベレストビューホテルでは、ヘリコプターを一緒に探した韓国人と偶然再会。ランチを共にしました。
高地順応のため、3,880mのエベレストビューホテルまで登る登山者が多いです。
自然の岩を活用した建築物で、ランチはエベレストビューホテルで食べました。
4日目:ナムチェバザール(3,400m)→ ディンボチェ(4,400m)
禁酒10日目にして、二日酔いのような夜でした。
昨晩は食欲がなく、無理に食べた夕食のあとから気持ちが悪くなりました。食べないと体がもたない。食べると気持ちが悪い。薬を多めに飲んで寝ました。
朝起きると、スッキリ。どうやら寝ると回復するタイプのようです。
今日はナムチェバザール(3,400m)からディンボチェ(4,400m)まで、20kmを12〜15時間の予定で歩きます。一気に1,000mアップ。教科書的には、1日に上げていい標高は500mまで。今日はその倍です。アップダウンがあるので、獲得標高は1,575mになります。
ディンボチェは富士山頂より600m以上高く、酸素は平地の6割ほど。
高山病の始まりは、吐き気、頭痛、食欲不振。ある意味で二日酔いに似ています。ここまで10日、お酒を飲まないで準備してきましたが、やはり高度には勝てないようです。
高山病は、こじらせると肺に水がたまったり、脳がむくんだりして、命取りになります。いちばんの治療法は下山。ただし、ここまでの苦労が水の泡になる。予防には、こまめな休憩、大量の水分補給、そしてゆっくり登ることが重要です。
標高を上げるにつれて木々はまばらになり、やがて岩と低い草だけの、荒涼とした景色に変わっていきます。
朝焼けが美しかったです。
ディンボチェの道中にあるチベット仏教のお寺①
ディンボチェの道中にあるチベット仏教のお寺②
標高4,000m近くにオシャレなカフェ・ホテルがありました。
今日は、12時間30分歩いて到着。

すこしだけヒマラヤが見えました。
高山病の症状は着いてから数時間後に出ることが多く、寝ると呼吸が浅くなって悪化しやすいので、到着後も気が抜けません。なんとかなる、と信じることにして、悪くならないことを祈ります。
この高度でのシャワーは、体が冷えて高山病を呼びかねないので諦めて就寝。
5日目:ディンボチェ(4,400m)→ ナムチェバザール(3,400m)
高度順応日。ゆっくりと朝食をとります。

ヒマラヤと4,410mのカフェ
ところが、ニュースを調べると不穏な通知が。明日から熱帯低気圧が接近。1年分の雨が数日で降るらしく、ネパール政府から気象警報が出ました。標高5,500m付近は昨夜から季節外れの雪で、70cmまで積もる予報です。
8月の災害と9月中旬の飛行機欠航で登山客が激減し、街道はガラガラ。おかげでここまで快適でした。
見上げた谷の奥は、厚い雲に閉ざされていました。この高度で新雪のラッセルは、さすがに無理です。数名、ガイド付きで登る人も見受けられましたが、散々悩んで、エベレストBCを断念することに。下山します。
昨日通ったゴンパをまた通過するのはすこし空しいです。
動物を見ると和みます。
行きに見えた上記の景色は見えず、暗闇をライトで歩きました、知っている道とはいえ雨も降っていたので怖かったです。
雨の中、この灯りが見えた時はホッとしました。
9時30分にディンボチェ(4,400m)を出発。最後は雨の中、ヘッドランプを点けて歩き、19時30分にナムチェバザール(3,400m)に着きました。今日は12時間歩きました。疲労困憊です。
宿は悪天候でWi-Fiが止まり、シャワーはぬるま湯。大きなバケツに熱いお湯を貯めてくれたので、ぬるま湯と混ぜながら浴びます。
そして、ビールを探しに街へ。3,400mのビール、たまらなく美味しかったです。
※下山の判断にあたっては、Yuta Miuraさんのアドバイスが心強かったです。ありがとうございました。
6日目:ナムチェバザール(3,400m)で停滞
今日は嵐で身動きが取れないため、3,400mのナムチェバザールで休息日にすることに。
一気に下りたほうが安全なのか判断がつきませんでしたが、宿の人に「様子を見たほうがいい」と言われました。アンテナが倒壊したようで宿のWiFiは繋がりません。スマホの通信がかろうじて繋がるのみ。屋根を叩く雨音を聞きながら、昼寝しました。
嵐の為、ギリギリで通信が繋がっています。
天候が悪く、帰りの飛行機が飛ばない可能性があるので、カトマンズまでのジープを手配。次の目的地であるインドのビザを調べたり、仕事をしたりしているうちに、あっという間に夕方となりました。
ジープの手配では、入金方法がWiseしかなく、本人確認に使うマイナンバーカードが手元にないため、支払いで詰みました。
宿の人に頼むと、近所の商店を一軒一軒訪ねて、QRコードで送金できる設定をしている人を探してくれました。宿の彼に感謝です。お礼に渡せるものが少なく、柿ピーやホッカイロなどを渡しました。
彼がWiseで支払える人を探してくれて、支払い明細として画面の撮影をするところまで指示をしてくれました。感謝です。
この夜はぐっすり眠れたので、回復していると思います。明日はルクラまで下ります。
7日目:ナムチェバザール(3,400m)→ ルクラ(2,800m)
標高3,400mで爆睡。Garminの睡眠スコアが、久しぶりに高スコア(80)を記録しました。
6時に出発。ナムチェバザールからルクラまで、一気に下りました。大雨の影響で登山道が滝のようになっていて、怖い箇所が3か所。行きに楽しんだ吊り橋の下を、濁った川が音を立てて流れていきます。
雨で崩壊した登山道は怖いです。
登山道が川になっていて、膝までずぶ濡れになりました
今回は閉まっているロッジが多かったです。
ルクラに着いてから飛行機をキャンセル。預けていたパソコンを宿で受け取り、シャワーへ。シャンプーの途中で水に変わり、寒かったです。
夜は食欲がなく、軽く済ませました。ベチャベチャになった登山道具を部屋で乾かしながら、少し仕事。ビールがありましたが、くたびれ果てて飲む気になりません。
明日からは2日間のジープ移動です。
8日目:ルクラ(2,800m)→ スルケ → パイヤ → サレリ(2,300m)
5時起き。悪天候で飛行機が飛ばないことを想定して、ジープでカトマンズを目指します。
ルクラ(2,800m)から直接出るジープはなく、まずはスルケまで下山。通常なら45分の道です。ところが大雨で登山道はぐちゃぐちゃ。悪路を2時間歩くことに。
何度もくるぶしまで泥にハマる。全身ずぶ濡れ、ドロドロになりながら、崖を尻セードで下る過酷な2時間でした。待ち合わせ時間ギリギリとなり早足で歩き、なんとか8時に到着。
見上げると、飛行機が飛んでいました。今日に限って、、、 過去のキャンセル分の待ち行列には入れなかっただろうと諦めて、ここは気持ちを切り替えます。
ずぶ濡れ泥まみれのひどい姿で到着すると、ジープ乗り場でマダムがタオルを差し出してくれます。タオルが臭うとか言っている場合じゃない。感謝です。
ここでドライバーからWhatsAppで、パイヤまで徒歩で2時間歩くようにと連絡が入ります。昨晩、スルケまで来ると確認したのに、、、仕方がないので、パイヤまでのジープを手配。2時間。歩いたら4時間か。
びしょ濡れでジープに乗り込みます。
パイヤで乗り換え。ジープは、ディズニーランドのアトラクションより揺れます。窓の外は、ガードレールのない崖。途中、ブレーキ修理で2時間のモラトリアム。
ガチで修理をしてました。全然終わらない。
どんどん解体されていく、、いつ終わるのか。
ボンネットまで開けはじめた、、、
標高1,500mぐらいまで下ったところで、またジープを乗り換え。吊り橋を渡って、30分の急登。汗だくです。
途中で食べたローカルのトゥクパ、辛かったです。
19時30分、標高2,300mのサレリに到着しました。
宿は、これまでで最低のレベル。ベニヤ板で仕切られた、幼稚園児の頃に造った秘密基地のような個室です。シャワーなし。着替えなし。湿ったシミのある布団。下山してもまだ過酷な旅が続きます。
到着後、ジープ会社から、カトマンズまでの道路が閉鎖されたので月曜までこの宿で待つように、と連絡がありました。月曜になっても再開するかはわからないらしい。
サレリは陸の孤島に。閉じ込められました。
陸の孤島となったサレリからの脱出計画
到着してから、ウェブで調べると、カトマンズへの陸路が閉鎖されています。集中豪雨の影響で、ネパールのあちこちで道路が閉鎖されていています。サレリから出られません。
ここ最近、ネパールは、土石流に続く大雨で天災続きです。地球温暖化の影響でしょうか。ネパールの人々には、この神罰のような災いから、逞しく立ち上がってほしいです。
以下、現地の記事からの抜粋(AI翻訳)です。
金曜日の午後、降り続く雨のため、シッディチャラン高速道路沿いのソルドゥドクンド市11区シスネリのサルメ地区で約20メートルの道路が冠水し、車両の通行が完全に遮断された。
道路の大部分が崩落により損傷したため、大小問わずすべての車両が運行できなくなっている。
地区行政事務所によると、当初は土砂崩れで道路が塞がれた後、上部から道路を撤去し、JCB(建設機械)を使って道路を復旧しようと試みた。しかし、土砂崩れが撤去された後、道路の下部が弱体化して再び浸水し、道路は完全に破壊された。
連日の雨のため、浸水した道路を直ちに復旧させ、通行を再開させることは困難を極めている。行政当局は、道路下部にさらなる被害が出る可能性があるため、工事を進めること自体が困難であると述べている。
ソルクンブへの主要陸路が封鎖されたため、同地区に出入りする乗客や貨物車両に影響が出ている。道路封鎖のため、カトマンズや他の地区からソルクンブに向かう乗客は途中で足止めを余儀なくされ、同地区から出る乗客も困難に直面している。
エベレストからの帰路、あちこちで道路が寸断してます。
9日目:サレリ(2,300m)→ カトマンズ(迂回路をジープで16時間30分)
昨晩、4,500ルピーのエクストラチャージを払い、迂回路でカトマンズまで行くジープを予約しました。
「サレリからカトマンズまで14時間以上かかるけど、大丈夫か? 辿り着けるかもわからないけど、いいか?」
現地の旅行代理店からの確認の連絡です。払うしかありません。出発は5時と言われました。とりあえず疲れたので、22時に就寝。爆睡。
3時30分、起こされました。ジープが来たから乗れ、と。いや、5時でしたよね?
4時、急いで乗車。ほかの客を拾って、ジープ修理工場へ。タイヤの空気調整で30分のモラトリアム。空気調整を済ませてから迎えに来ないのが、なんとも面白い。
5時、修理工場を出発。久しぶりの、コンクリート多めの道路です。それでも、日本と比べるとかなりの悪路。揺れが激しく、眠いのに寝られません。
結局、急がば回れで陸路が正しい選択なのかもしれません。
美味しいダルバートを食べると、下山してきたことを実感します。
5回の休憩は、すべてローカルフードで、どれもパンチがあります。特にダルバートが安くて美味しい。ヤクのミルクを練乳にして固めた棒状のお菓子も、はじめて食べました。
カトマンズからほど近い丘の上(2,800m)で見たヒマラヤが、美しかったです。遠くに、白い峰々が連なっていました。
最後の休憩での青空、エベレストBC登れたかも、、、と思わせる天気です。
雲の合間にヒマラヤ山脈が見えます。
途中に休憩したレストラン、店の中を鶏が歩きます。
彼方に見えるヒマラヤ。
20時30分、カトマンズの宿に到着。16時間30分の移動でした。流石に疲れました。
シャワーを浴びて、ビールを飲みたいところですが、予約した宿の部屋のバスルームが壊れていて移動。また移動か!
番外編|カトマンズからインド経由で日本へ
今回はエベレストBCまで登れませんでしたが、帰りの飛行機の窓から見たヒマラヤが、美しかったです。雲海の上に、白い頂が島のように浮かんでいました。
このヒマラヤが最も美しく見えました。
最後に
ネクストモードを創業してから、旅をした日数は1,000日を超えました。それにして、なぜ、旅を続けるのか。
知り合いのノマドワーカーは、「旅とは、寂しさを見付けることだ」と言っていました。書いてみると、少し気恥ずかしい言葉です。でも今回の9日間で、その意味がすこしわかった気がします。
ここでいう寂しさは、感傷的な孤独だけではないと思います。肩書きも、言葉も、支払い手段さえ通用せず、頼れる人もいない場所に放り出されたときの、心細さのことです。マイナンバーカードがないだけで、ジープ代ひとつ払えない。ベニヤ板の部屋で、道が再開するのを待つしかない。そこで私は、ただの無力な旅行者でした。
しかし、寂しさの中でこそ見えてくるものがあります。名も知らぬ誰かからのギフトです。機関銃のような英語でヘリを予約してくれたマダム。商店を一軒一軒訪ね歩いてくれた宿のシェルパ族。泥まみれの自分に、タオルを差し出してくれた肝っ玉母さん。二度と会わないのに、見返りを求めず、手を差し伸べてくれる。私が仕事で大切にしている「Give First」は、受け取る側に回ると、心に沁みるものです。
旅の寂しさがくれるものは、もうひとつあります。異文化との出会いです。
シュルレアリスムを率いたアンドレ・ブルトンが愛した、19世紀の詩人ロートレアモン伯爵 の詩に、こんな一節があります。
「解剖台の上での、ミシンとこうもり傘との偶然の出会いのように美しい」『マルドロールの歌』
Il est beau [...] comme la rencontre fortuite sur une table de dissection d'une machine à coudre et d'un parapluie !
ありふれた日用品も、場違いな場所で出会うと、急に見知らぬものに変わり、新しい意味を帯びる。シュルレアリスムでは、この手法を「デペイズマン Dépaysement」と呼びます。フランス語で、もとは「異郷に身を置くこと」。つまり、旅そのものです。
旅人とは、解剖台の上のコウモリ傘のような存在なのだと思います。日本の常識ごと異郷に置かれると、自分の「当たり前」が、ひとつの考え方にすぎないと気づかされる。ヒマラヤのゴミでアートをつくる工房もそうでした。ゴミも、置き場所が変われば作品になる。この相対化こそが、新しいアイデアの源泉です。ブルトンは『シュルレアリスム宣言』で、イメージの価値は、二つのものの「電位差」が生む火花の美しさで決まる、と書きました。遠く離れたもの同士ほど、大きな火花が散る。経済学者シュンペーターがイノベーションを「新結合」と呼んだように、ビジネスの新しい価値も、遠いもの同士の出会いから生まれます。
旅の寂しさとは、解剖台に置かれたコウモリ傘の心細さなのかもしれません。けれど火花は、いつもその場違いさから一瞬で散ってなくなります。人の優しさも、新しい発想も、その寂しさの向こう側で待っています。だから私は、また旅に出ます。
エベレストBC、必ずリベンジします。もう一度、解剖台の上のコウモリ傘を求めて。
